文体遊び、あるいはおっさん少女リバース
ハロー!こちら私。私は誰かって?ふふふ。それには大した意味はないんじゃない?
ふむ。
以前、このブログに変更する前の前、実はオネエ文体で、美容やら男性論やら甘いものについて書こうとしたことがあった。その名もおっさん少女。少女の心をおっさんの身に宿した悲しき人造人間。
私はオネエになりすまそうとしていた。
えーと、つまり、ネカマではないのだが、なんというか、ネット上オカマだった。
なんとなくオネエだったら放言も許されるような気がして、楽な気持ちで有る事無い事書けたのだ。
今考えるとどうも、あまりに浅はかで参る。
既に記事は消してしまったけれど、オネエ風の文体で文章を書くのは楽しかった。その文体に(随分定型的なオネエだった気がするが)入り込むのがなんとも心地よかったのだ。
だいたいこんな感じ。
「こちらおっさん少女よ。やっと仕事終わりで帰ってきたの。まあったく、やんなっちゃうのが、電車でブツブツ呟くおっさん達ね。時々いるじゃない?「タクヨォ!バカヤローメ!何様だっての!」みたいなことを、聞いて欲しいんだか、周りの人に逃げて欲しいんだか不明なトーンで喋ってるおっさん。私も普段は少なくとも見た目は普通のおっさんとして生きてるから、あんなのと同列と見られてると思うと、悲しくて悲しくて、帰りにローソンでプレミアムロールケーキ買ったわ。ほんと美味しい」
みたいな。
オネエ文体の不思議は何故か筆が進むところにある。なんだろう?隠された自己の解放的な何かなのか?逆に自己の隠蔽のおかげか?よくわからない。良否は別にして、とにかくやたら文章は書けるのだ。
でも、本物のオネエではなかったので、すぐにネタは尽きて、リサーチしてまで書く熱量もなかったので、すぐにお開きとなったのだった。
でもあのスイスイ書ける感覚はとても好きだった。
今このブログの文体は正直なところまだ定まってなくて、色々試しているような試してないようなところでフラフラしている。まあ、誰のために書いてるわけでもないので好きにフラフラするだけなのだが。
文体といえば少し前に書店に並んでいた本で(多分今はブックオフに並んでいるはずだが)、文豪の文体でカップ焼きそばを作ったら云々、みたいなものがあって、私は割に文体遊びみたいなものが好きな方だし、気になってちょっとペラペラとしてみたら、およそほとんど文体の本ではなくて愕然としたのだった。
文体遊びというのは、普通、作家に特徴的な文章の傾向や、癖や、言葉の選び方で、その作家風の文章を書くことだと思うのだが、その本はその文豪達の有名な小説の有名な一部分を「カップ焼きそば」という言葉にすげ替えただけのもので、正直こんな芸でもなんでもないものをよく売ろうと考えたな、とちょっと関心した。
類似のものがツイッターで流行ってたのは見たことがあったのだが、まさか何のひねりもなく、技術も使わずに、出版しようというのは、これはツイッター上での熱がまだ完全に冷め切っていないうちに(そうでないと中身の良し悪しを判断されてしまうじゃないか!)出版まで漕ぎ着けるという強い意志と、行動力、プライドの無さ、そういう類の強さが必要なので、何というか、すごく「出版!」という感じがしたのだった。
それはそうと、文体遊びは好きなので、そのうちこのブログでもちょっとやってみようかと思う。ネタを考えておこう。
あとさっき、おっさん少女で書いたらあの短い文章でも結構楽しかったので、これも第2人格みたいな感じで書こうかなと思った。ついさっき、書きながら。
ではまた。その時に。よろしくね。アデュー!