シュガー・ラッシュ:オンライン ignの記事に寄せて

少し前に、ignジャパンでシュガーラッシュオンラインのプリンセスの定義の扱いに言及する記事が出ていて、なかなか楽しく読んだのだけれど、

https://jp.ign.com/wreck-it-ralph-2/31862/feature/

やっと映画の方を見たので、感想。

 

以下映画自体のネタバレも含みます。映画も、記事も把握している前提で書いてます。

 

例のディズニープリンセス一同登場のシーンは流石にちょっとずるい。

まず画面の豪華さ。人数が多くてちょっとゴタゴタしてるけれども、まあ華やかなだ。カラフルなのだ。服の色、髪の色、肌の色。今までプリンセス像を少しづつ刷新してきたのがよく分かる。

自虐じみたネタもディズニーくらい大きくてパブリッシュイメージが強い所がやるとつい笑ってしまう。シンデレラがビール瓶よろしくガラスの靴を割って構えるのは好きだ。スタジオの違いをつつくのも、プリンセスからの発言だと妙に笑いを誘う所がある。

プリンセス達の控え室で、ヴェネロペ(柔らかほっぺのドライバー)に例の質問が与えられる。

「大きくて強い男性が現れたことで、あなたの問題がすっかり解決したってみんなが思ってる?」

である。もしそうなら、あなたもプリンセスだ、というのだ。

もちろんこれは自虐的なユーモアであると同時に、映画のテーマと響き合っているのだが、正直なところ、ディズニー以外ではあまり機能しないだろうなと思った。

 

まず、映画自体のテーマは「自立して、自分自身を生きること」とか、そんな普遍的なものなのだが、例のプリンセス達のシーンの印象がすごく強いのと、実際ヴェネロペは女の子でラルフはオッサンなので、「女性の自立」がテーマであるような印象を受ける。

それはそれでいいのだが、何というか、今更?という感じがするのだ。日本だったらまだテーマとして扱う意味もあるかもしれないが、ディズニーはグローバルな企業だし、もうとっくの昔に(ディズニーでもそれ以外の会社の映画でも)扱ったテーマで手垢が付いてる印象なのだ。だから正確にいうなら、今更?というよりは、また?とか、再録?かもしれない。

でも、ディズニーはビッグカンパニーとして時代の価値観を反映(あるいは迎合)しなければならないのに、未だそのテーマを扱う必要があるし、例の「大きくて強い男性が現れたことで、あなたの問題がすっかり解決したってみんなが思ってる?」と問う意味があるのだ。

何故ならプリンセスである事はおよそ自立とは(真逆とは言わないまでも)違った方向のイメージを孕むものだからだ。王子に求婚されてハッピーエンドを迎えたプリンセスも多い。だからディズニーとしては、彼女達の魅力は王子達とは関係ないんですとエクスキューズする必要が出てくる。それも未だビジネス上有効な、旧来のプリンセス(そこには王子様からの求婚も含まれている)への憧れを守ったまま。

 

ignの記事では「笑いに包んで批判する道を、『シュガー・ラッシュ:オンライン』では選んだのだろう。それは、自らがかけた呪いを、悪しき魔法を、自らの手で解いているかのようにも見える。」と書き、「プリンセスに憧れることは決して無意味でもないことを、観客に告げている」と文章としては美しい着地をするのだが、私にはいささか贔屓目が過ぎるように感じる。

ディズニーは旧来のプリンセスのイメージを捨てたわけでもないのだから。だから、ヴェネロペは「それってムカつくよね!」ながら、必要とあらば大砲の花火の中、気持ち良さそうにミュージカルを始めるのだ。それにプリンセス達も、それが「本物のプリンセス!」と声を合わせるが、ラプンツェル以外は「それってムカついて」いるかはちょっと微妙で、単なる仲間の承認のように見える。

だから、まだそれは空気を読んだジョーク以上にものにはなっていないと思う。

 

もしかしたら、あなたはただのジョークにグダグダ言いやがってと思うかもしれない。その気持ちもわかる。だが、今この時代にあっては、エクスキューズ抜きにはディズニープリンセスは、特に古株は扱いづらいのも事実なのだ。

ディズニーが古株プリンセスを捨てるわけもないのだから、彼女達が出るたびに何らかのユーモアを使ったエクスキューズや、プリンセスの定義を若干スライドさせる事は割とあり得る話だと思う。

いや、だから何だよと言われたら、それもそうなんだけれども。