何時何分何十秒、地球が何回回った時?
そういえば私が小学生とか、あるいはもっと幼かった頃の話。
口喧嘩などをしている時に「何時何分何十秒、地球が何回回った時?」という言い回しがあった。
「証拠はあるのかよ」とか「証明できるのかよ」とかそんな感じの言い逃れの言葉だ。
「タロちゃんこないだそう言ったじゃないか!」
に対して
「知らねーよ。何時何分何十秒、地球が何回回った時?」
である。
これはおちょくっている。言われた時にはずいぶん頭にきた記憶がある。
しかし、改めて考えると割と不思議なところがある。
出来事がいつなのか、秒単位の正確な日時など記憶していない事を突いて「そんなあやふやな事では認めるわけにはいきませんなぁ」とやりたいはずなのに「地球が何回回った時?」という謎の飛躍が入る。
これは本当に謎だ。
まず起点は何処なのか?何をもって地球の回転のスタートとするのか?そもそも、なんで地球の回転数で答える必要があるのか?
そういったごく普通の疑問が返ってこない事を前提としている。
「うるせー、質問してんのはこっちなんだよ!」
で押し通せるなら、最初から「うるせー」だけで充分じゃないか。
何故相手にツッコミ所を用意するのか。
まあ、その意味不明さがおちょくりポイントでもあるのだが。
それに年をとった今、改めて思うのは「地球が何回回った時?」というのは何か詩的だなという事だったりする。
日常の中で不意に、宇宙サイズの存在論に触れてしまった時のような、妙にフレッシュな、妙に冴えた感覚がある。
それはもう詩といっていい。
だからあの時私は、「どうしたんだい。急に。君はずいぶん詩人なんだな」とでもおちょくり返せばよかったのだ。