ジャズがオッサンの打ち明け話であるならば
昔雑誌かなんかでタモリが「ジャズっていうのはさ、俺の話を聞けってことなんだよ(意訳)」と言ったそうな。
うーん。さすがタモさん。さすが元 god of お昼。
だから退屈な所もあるのはしょうがねぇんだと。どんなに見事でも所詮はおっさんの打ち明け話だから。
以前、ポップミュージックは物語の提供でもある的なことを書いた故、その周辺のことをねちねちとまだ考えていた。
それで思った。「俺の話を聞け」っていうのは物語の提供のフォーマットの話じゃないか。
モダンジャズは「おっさんの口頭による物語」といった具合。
ではロックは?
ロックはやっぱり「映画・テレビなどによるマスな物語」になるのではなかろうか?
つまりはマスメディアによって作られたスター制度による物語提供。
そこではアジテーションが強く作用し、また網目の大きな共感が求められる。
なかなか良い線ではないだろうか?
ヒップホップが地元に根差したストリートのリアル感を重視するのは「噂話の物語」であるから、というのはどうだろう。
その物語はやはり語り(ラップ)になるだろうし、また街の誰それの武勇伝や成功がネタになる。大風呂敷も込みで面白おかしく語られるそれは、本当らしい(リアル)というのが大事なポイントなのだ。
「エッ、マジかよ」ってのが大事。
ジャズみたいなおっさんの打ち明け話とはちがう。
だが売れれば売れるほどロックと近似していく(本当にそうか?要検証だが、面倒だから検証などするわけない)。
ちょっと無理やり感ありますかね。
今現在(2020)、時代の空気を構成するような、その隆盛が時代や場所そのものであるような音楽は無くなってしまった気がする。
ネットによって古きも新きも楽に情報にアクセスできるようになり、サブスクでさらに加速する。音楽は、時代の空気と一緒に肌にまとわりつくものではなくなって、大きなアーカイブスから選択するものになった。
まるでSNSでコミットする人やクラスターを選ぶように音楽を選ぶ時代。
はたしてそれは素晴らしい事なんだろうか?
基本的には素晴らしい事なんだろう。
ふむ。
インターネット、特にSNSの時代に特有の物語のあり方とは、その音楽とはどんなものなんだろう?
端末から眺める世界。選択される情報。エントロピーという言葉がよく似合う緩やかなコミットとうねる波。いくらでも見つかる対論。ポストトゥルース。
安直にDTMやEDMと結びつけたくない気持ちがある。
ヴェイパーウェイブ?
私にはジャンルさえ定義できない!
サンプリングや引用は当然の構成要素になるんだろうか?
あるいはMIDI音源に特有のジャンルがあったら、ついついインターネットと結びつけたくなっちゃうかもしれん。
いやMIDIはファックスか?
AIによる自動生成音楽に特有の感触があったら、次世代の音楽ジャンルとして機能するだろうか?それとも今世代なのだろうか?
自分で選んでいるつもりで、その実アルゴリズムでコントロールされた情報を読んでいる私達の、清潔な感情と自動生成の音楽に似たところがあればいいな。
きっとやっぱりなって思うだろう。
まとまりも結論もないまま終わり。