D.A.Nの新譜楽しみだなー、的なやつ

今、2018年夏頃に、私めが最も好きなミュージシャンはD.A.Nなのだ。

 

近年、雑誌その他で、最も期待される若手ミュージシャンとして紹介されることも多い彼らは、今年7月18日に新アルバム「Sonatine 」が出る。それが楽しみだなーということが書きたいと思ったのだ。

 

「最も期待される若手ミュージシャン」という言い方は、音楽情報誌を装った広告誌などで、若手ミュージシャンを紹介する際の、なんだか主体不明の紋切り型の言い方で、読むだけで気持ち悪くなるような感触が素敵だ。

この気持ち悪さはどこから来るのか?

 

私が思うに、それは「期待している」のが誰なのかはっきりさせないことで、何かを誤魔化そうとしているが、でも誤魔化そうとしている人物、それさえ誰なのかはっきりしない、とにかく発言の責任を取りたくない感触があるせいじゃなかろうか?

 

アンケートを取って「ウチの雑誌の読者が最も期待する」でもいいし、あるいはライター自身の名前でもいい。何だったら所属レーベルが最も期待する(と書くと何となく金の卵的な、いやらしい感じが出てしまうが)でもいい。

でもそれを書かないどころか、さらに「期待されてる」と書くことで主体不明を誤魔化していく。

でもその誤魔化しが何のための誤魔化しなのか、それすらはっきりしないのだ。

 

おそらく最初は何かしらの意図があって使用された文言だったのだが、今では紋切り型として、何となく使われてしまって、もはや誤魔化しなのかすらはっきりしない。でもそういう紋切り型を使うというのは、ある側面では、自分の考えや感性を文章化することからの逃げであるし、そういった意味でも誤魔化しなのだ。

誤魔化しに次ぐ誤魔化し。

「最も期待される若手ミュージシャン」というのはそんな言葉だ。

とはいえ、その気持ち悪さはそんなに嫌いでもないのだが。

 

だが、ここでは私も「最も期待される」と書きたいのは、その気持ち悪い言い回しが割に好きであることに加えて、悲しいかな音楽消費者として別に良い耳を持っている訳でもないので、その自信の無さを誤魔化したい気持ちもあるからなのだ。

こんな私が「これカッコイイんだぜ!」と言った所で誰が興味を持つというのか。

とはいえ、D.A.Nは、今一番私にはカッコイイのである。言うなれば少なくとも私に最も期待される若手ミュージシャンなのは間違いない。

 

現在7月15日には、アルバムの中の4曲を先行配信で聞くことが出来るのだが、正直、よく分からないような所もある。ファーストの「D.A.N」の時よりももっと個人的で、何というかエモい感じがする。「D.A.N」の時の大学生のバンドのような、センスは良いがバランスを取ろうとし過ぎている(意地悪くいうとセンス悪いと思われたく無さそうな)感じは抜けて、ちょっとダサい感すらある音やフレーズもある。「ここ無駄に長くない?」とか「この構成の目的は何なのか?」とか、私が素人だからなのだろうが、「何故?」みたいな所もちょいちょいある。

でもミュージシャンとしての自信を感じさせる感触があり、これ私には分からんがそういうもんなんだろな、と思わされる。ファーストはそのバランス感もあって、凄く聴きやすく、音楽に身を委ねるように、あるいはぼんやりと聞き流すのも気持ちが良いような所があったが、「sonatine」の4曲は、今のところ、もっと顔を寄せて語ってくる。そこで語られる景色は、物語は、作家になれていない人間に許される照れを捨てている。そして(ああ、素人のくせにこんな偉そうな書き方したくないのだが)間違いなく成長もしているのだ。音使いは繊細かつ力強くなって、より描写的になっている。でも、何だかよく分からない所もある。そういう感じ。

まあ、アルバム2枚目にして遠くに行ってしまったのかもしれない。成長が早い。さすが若いだけある。

 

もう何日かで全部聞けるようになるのだが、それが楽しみで仕方ないのだ。早よ!早よ!である。