ヒップホップを馬鹿にしてたのは間違いだったという昔話

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私がまだ学生だった頃、日本でヒップホップは当たり前の音楽ではなく、まだマイナーな音楽と認識されていた。
その頃はまだヒップホップとラップは同一視されており、とにかく「ラップしてればヒップホップ」みたいなイメージだった(少なくとも私は)
もちろん、ヒップホップにとってラップは花形ともいえる要素かもしれないが、実際にはヒップホップという言葉は文化的なニュアンスが大きい。でも、当時はそんなことも知らなかった。
また聴き慣れない風変わりな響きは、珍奇な流行り物ように聞こえた。

当時、ロックの名盤50選みたいなヤツをとりあえず聞いたりしていた私は、ヒップホップ(ラップ)をちょっと馬鹿にしていた。
「レディへの実在感よ。それに比べてラップなんてものは……(しかめ面しながら)」てなもんである。
なんで、掘り下げてみようとも思わなかった。

正直なところ今だって正直全然聞いてないのだけど、馬鹿にするような考えがなくなったのは、大学時代につるんでいた友人の影響だった。
彼はいわゆる音楽が趣味という人で、昔お茶の水にあったジャニスというマニアックなレンタルショップにわざわざ電車に乗っていくようなタイプだった。
学生というのはだいたいお金がないから、あの当時いろんな音楽をいっぱい聞こうと思うとレンタルするしかなかったのだ。
サブスクで聴き放題の今の子たちはびっくりするかもだが、本当にそうだったのだ(しかし、レンタルもない時代はもっと大変だったはずで、ちょっと想像を絶するな。金銭的に)

でも、その音楽好きの友人がヒップホップの手ほどきをしてくれたという話ではない。
当時その友人もヒップホップを私と同じ程度には馬鹿にしていた。
アイドルソングの間奏にそれっぽいラップをねじ込む芸は、彼の十八番だった(毎回マーク・パンサーみたいな終わり方をする)

では何の影響なのかというと、少し時間が飛んで何年か経ったあとの話になる。
彼は卒業後、何年かぶらぶらした後自衛隊に入り(いわゆる文化系だったのでとても意外だった)、たまにメールするくらいの交流になっていた。
だったのだが、機会があり久しぶりに会って、お酒を飲むことになった。

で、音楽の話になった。
「最近何を聞いてるの?」と。
すると彼は少し恥ずかしそうに「ヒップホップとか聞くようになった」と言ったのだ。
その時に何人かのミュージシャンの名前を聞いたのだが、当然ながら全然知らなかった(後からオールドスクールの有名どころだったとわかった)

それから私も聞くようになったのだ、という話でもなくて、その後で聞いた自衛隊の話とヒップホップが私の中で1つになってるという話なのだ。
自衛隊での仕事はあまり詳しくは話せない(あるいは話したくない?)らしく、ざっくりしたことばかりだったが、それでも分かったのは、それがとてもとても肉体的な労働であるということだった。
キツい肉体的労働とヒップホップは対になって私の頭に刷り込まれてしまったのだ。

必要とされる音楽は環境によって変わるのだ。
と、その時思った。
その時見えているもの、受け入れている物語、将来の展望、そんななんやかや。言ってしまえば、世界をどのようなものとして感じているのか、見ているのか。それと音楽というのは共犯的に関係を結ぶのだ。と思った。

一方で楽理的構築やその発展といった世界もある。
だけども、そういったものもありつつ、少なくともポップミュージックにおいては、本質的には物語の享受という側面が大きいのだなあ、と思うのだ。思ったのだ。
いくらかマッチョになった(おそらく思想的にも)彼の背中を見送りながら、そんなことを思ったのだ。