フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと、という危うい文字列

「フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと」
発話やタイプしてみると分かるのだが、この文字列はぱっと見ほど自然な並びではない。
普通の並びは「フィンチ家でおきた奇妙なこと」とか、「フィンチ家の奇妙な屋敷」とかそんな所だと思う。
一族の意味合いでの「家」と、「屋敷」が被っているし、「フィンチ家の、奇妙な屋敷で、おきたこと」という三分割されるのも、タイトルとしては微妙にアンバランスに思える。だが、不思議なことに、文字列を目で読んだときには悪くない。
何故か?私にはよくわからない。
ともかく、この名前はこのゲームの多くのことを体現しているように思う。


とある一族が主題で、奇妙な屋敷が主題で、そこで起こった(もちろん奇妙な)様々な死が主題で、それらをどれもタイトルから外したくなかったのだろう。
プレイヤーは、フィンチ家の生き残りのエディスの視点で、その奇妙な屋敷でおきた死に触れていく。触れていく1つ1つで、プレイアブルな何かが起こる。
このあたりは必ずしも死の追体験というのでもなく、切れ味も重さも出来も様々な「プレイアブルな奇妙な死のイメージの共有」といった感じ。
ゲームをしている最中私は、正直なところ、そのイメージの統一性のなさに困惑していた。
その奇妙な死たちは、フィンチ一族にかけられた呪いのようなもので、そこには取り去ることのできない根のようなものがあるはずだと考えていた。
またそうあることで、血筋というどうあっても逃れることのできないある種の呪いが描かれるはずだという思い込みがあった。
そのせいだろう。フィンチたちに訪れる死は、どうにも散漫なアイデア集のように感じられた。

ただ、いくつかのアイデアは本当に素晴らしいものだった。
白眉は缶詰工場で働く兄のそれで、細かく書くつもりはないが、このパートは死のイメージとプレイアブルな部分がおよそ完全にシンクロしている。ゲームという表現の理想の1つといえると思う。あそこまでシンクロすると、シンプルで、ややもすると言葉だけになりがちなゲーム上の設定に肉が与えられるように思う。


というところがプレイ後すぐの感想だったのだが、1ヶ月くらい経った今はちょっと違う気がしはじめている。

フィンチ家の出来事は、実際に起きたとは思えないものも混ざっている。そのイメージはフィンチ家で語り継がれている死のお話だったり、エディスの想像だったりと解釈できるが、それさえもはっきりとはしない。
であるならば、当然、呪いさえも本当に合ったかは随分あやしいではないか。

それは単に語られてきた呪いでしかなく、想像に彩られた一族の諦めと慰めでしかない。と考えれば、タイトルに「屋敷」を入れたくなったのも分かる気はする(原題は違うんだけどもそれでもね)。
それは作り上げた呪いのメタファーなのだ。
あの奇妙なかたちの屋敷は呪いと同じような形で生まれて、具現化したのだ。時代を経るとともに増築され、改築され、そこから逃れることはできない何かだと考えられてきた。
だが本当に逃れることのできないものであるかは別の話なのだ。
そしてエディスと母親は家から出て行く。

だが、そういうと、あなたはエディスもエディスの母も死から逃れることができなかったではないか、と反論するかもしれない。
でも、そもそも誰も(私もあなたも)死から逃れることなどできないのだ。そこに呪いの介在は必要ない。

そう思うようになったら、散漫に見える物語の集合も気にならなくなっていった。結局のところ別々の死がそこにあり、それを後から呪いのフィルター越しに解釈したのだと。
それがフィンチ家という一族だったのだと思うと、ほとんど逆説的に大きなゆるい統一性を感じることさえできた。
まるであのタイトルのようではないか。
「フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと」
その微妙で危うい言葉の並びをどのくらい自覚的に使用したのかはわからない。だが、離れて見れば、悪くない。全然悪くない。こんなにぴったりとした名前も他にないのではないかとさえ思える。

この辺が今最初に出てくる感想だ。以上。